2017年8月24日 (木)

植田直通って、人の名前だったのか。うえ

植田直通って、人の名前だったのか。うえちゃんにつながる電話でも開設されたのかと思って興味本意に釣られてしまった。直通、かぁ。

2017年8月22日 (火)

チンチン電車の日

8月22日
火曜日
チンチン電車の日
1903年(明治36年)8月22日
東京電車鉄道の路面電車が営業を開始し、
東京で初めて路面電車
(チンチン電車)が走ったことを記念。
なお、
これとは別に6月10日が
「路面電車の日」となっている。
もう走ってる所は
少ないですね〜
神戸市でも
1971年(昭和46年)までは
走っていましたが、

2017年8月18日 (金)

GrassRootsPatriots草の根の愛国者たち

zeraniumの掲示板さんのブログより
GHQが日本統治を始めた時、日本語の漢字とかなによる表記法を廃止して、すべてローマ字にしてしまおうという動きがありました。そして昭和23年1948年にGHQは、日本語の破壊を本格化するための作業に着手します。そのために最初に行なったのが、日本人はどのくらい漢字が読めるのかという調査でした。

文化庁が出した国語施策百年史によると、この調査は全国270所で15歳から64歳までの1万人以上を対象に行われたといいます。その結果ですが、テスト平均は78点以上で、当時の日本国民の979パーセントが高い識字率を有していることが判明しました。GHQはこの結果に驚愕したといいます。

この結果を受けてホール少佐は左遷され、日本語ローマ字計画は潰れました。しかしアメリカ教育使節団は、当時の日本の教育を歪めている施策である教育勅語の廃止、63制義務教育、そして後の日教組である教員組合を組織する自由は勧告していました。日本人はこの時の文明的な危機を、圧倒的な識字率の高さでもってはね返し、何とか母国語の存続を守ることができたのです。

私が、こんなに美しく、かつ効率的な日本語で本書を出すことができるのも、GHQの日本語破壊プログラムが失敗したおかげです。無知な連中の愚かな破壊工作をはね返してくれた、日本の知的伝統の素晴らしさに、改めて感謝したいと思います。

草の根の愛国者精神

GrassRootsPatriots草莽そうもう草の根の愛国者たちとは、普段は在野にあって市民生活を営いとなんでいるが、いったん国家危急の場合には、国家への忠誠心に基づいて国を守るために行動に出る人のことを指します。アメリカでは建国にあたり、GrassRootsPatriotsたる開拓民たちの活躍が必要不可欠でした。自由を求めて新天地に移り住んだにもかかわらず、それに対してさらに重税を課そうとしたイギリスの圧政に抗し、自らの理想と信念にかけて独立戦争を戦った、多くのアメリカ開拓者たちが激しい戦闘で斃たおれました。

開拓民たちはイギリス軍に対し、徹底的なゲリラ戦で対抗しました。
当時の戦闘は、統一された制服を着た両軍が互いに一列に並んで向かい合い、大砲や銃を撃ち合い、最後には銃剣で突撃して殺しあうというものでした。ですがアメリカ開拓民たちは森林の茂みに潜み、一気に一斉に攻撃してはまた森の中に消え去るような戦術を用いました。

実は、こうした独立戦争の終結から4年後に、アメリカ合衆国憲法が作られましたが、その要因となったのが、それぞれのステイツである州が協力し合わないことが最大の理由でした。つまりまとまりのなかった社会を一つにするという目的ために、アメリカでは合衆国憲法を制定する必要があったのです。それによってGrassRootsPatriotsの草の根的な力を一つにまとめることができました。

一方、日本の明治維新の時にも、GrassRootsPatriotsの草の根的な力が数多く活躍しました。日本ではそれを草莽そうもうという言葉を用いています。幕末の日本人は、西欧列強が世界中を植民地にしていることをよく知っていました。もちろんイギリスが、理不尽な阿片あへん戦争を当時の中国の清王朝に仕掛けて勝利し、香港などを手に入れたことも熟知していました。こうした着実に日本にも迫りくる西欧の脅威に対し、どうすればいいかを多くの草莽の日本人たちは考えていたのです。

しかし当時の徳川幕府は、完全な官僚体質で組織が硬直化しており、素早い意思決定ができず、無責任で内輪の権力争いばかりに明け暮れ、危機感が欠如していました。そんな腐りきった状態の中、何とかしなければという草莽の人が立ち上がり、外国勢力を打ち払わねばという意識を持ち始めたのです。対抗策を必死で考え、それを学問的に研究し、実際に行動に移した当時の日本人は凄かったのです。このようにアメリカであれ日本であれ、草莽の人は自分たちの住む国や故郷が弾圧や侵略の危機にあると、自分たちの理想を貫くために立ち上がり、その生命を賭けて勇敢に戦ったのです。

アメリカでは今日でもGrassRootsPatriots(草の根の愛国者たちの精神が根強く生きています。つまり、いざという時には国家を守るために、アメリカ国民全員が立ち上がらなければなりません。それは国民総動員法ではありませんが、要するに国家とその理想を守ることは全国民の義務であり、常識なのです。戦争になったら外国に移住するなどと考える人間は、アメリカ人の常識からいえば典型的な非国民です。

銃の所持は他人に頼らない精神の現れ

合衆国憲法の修正2条には、銃を所持する権利の保障がありますが、これはまさに草莽そうもうの精神そのものです。私自身はアメリカでは銃を持っていませんが、銃を持つ権利を認めることはアメリカ人にとってとても大切なことだと考えています。オバマ大統領時代には民主党は銃規制に非常に熱心であり、西海岸や東海岸の都会を中心に、その考えを支持する一定数の人がいます。しかしほとんどのアメリカ人はそうは思っていません。

国内にあんなに銃が出回っているから、銃犯罪が減らないと言う人がいますが、多くのアメリカ人にしてみれば、いや、我の祖先が銃を持っていなかったならば、イギリスから独立できなかったでしょというだけです。それで議論は終わりです。

つまりアメリカの草莽は自国を守り、地域の安全を守り、家族を守るのは、最後には自分自身なのだという意識を強く持っています。悪い奴が来た時、場合によっては警察だって間に合わないかもしれない。そんな時に自分や家族を守るのは当然の権利であり、義務でもあるということです。つまり私たちアメリカ人は、他人に頼ることを前提に生きていないのです。

テキサス親父おやじことトニーマラーノ氏との共著素晴らしい国日本に告ぐ青林堂にも書きましたが、私の弟のエピソードを紹介します。私の弟はライセンスを取って銃を携帯していますが、ある時スピード違反で警察に車を止められました。通常車を止められた場合、警察官が後ろからやって来るまで運転手は免許証を出し、銃を持っていないことを証明するために、両手はハンドルの上に置いておかねばなりません。それで彼も免許証と、銃を見えないように常に携帯できる許可証の2枚を取り出し、ハンドルに手を乗せました。

警察官は弟を見て、今、何キロ出していたかわかる?弟少し速度オーバーでしたかね警官相当オーバーだったよとやりとりしながら、警官は弟の免許証と銃のライセンスを見ています。そして後ろのパトカーに戻り、しばらくして再びやって来ると、相当スピードオーバーだったが、あなたは銃の携帯免許を持っており、普段から我の治安活動に貢献しているようだと言いました。

再びパトカーに戻ってやって来た警官は弟にこう言いました。
隣にいるのは奥さんですね。ではこうしよう。本来なら数百ドルの罰金だが、今回は許す。その代わりにその数百ドルを、あなたの奥さんのために使いなさいそして弟の妻に向かい、いいですか奥さん、もしあなたの主人がそうしなかったら連絡してください。その場合はちゃんと違反の切符を切りますよ。じゃあね、と言って去って行ったのです。

つまり、多くのアメリカ人が持つ銃への意識は、日本で報道されているような一方的な危険なイメージではまったくないのです。むしろ社会の安全をみんなで守るための、大切な道具だと認識されているのです。この感覚はかつて、日本のサムライが刀を常に持ち歩いていたのと同じ感覚かもしれません。彼らは頼もしい味方なのです。これも草莽の精神の一つの発露ではないでしょうか。

自虐教育を受けてきた日本人の消極性

2014年末、スイスチューリヒにあるWINギャラップインターナショナルという機関が、世界64国で自国のために戦う意思について世論調査を実施しました。それによると、日本人はわずか11パーセントというスコアで世界最低でした。これは何年かごとに実施されているアンケート調査ですが、日本はこれまでもずっと世界最低を維持し続けています。

世界で一番高いのはモロッコやフィジーで94パーセント、パキスタンやベトナムが89パーセントとなっています。ちなみに中国は71パーセント、アメリカは44パーセントです。過酷な受験戦争や就職難に嫌気がさし、若者たちが自国をヘル地獄朝鮮と揶揄する韓国でさえ、42パーセントが自国のために戦うと言っています。

では日本人は国のために戦いたくないのか?それは一概には言えません。なぜならこのアンケートの答えははいいいえわからないの三択になっており、日本人はわからないと答えた数が世界で一番多く、42パーセントにも上るのです。

これは大東亜戦争の敗戦後、GHQが日本を永久に武装解除するため、日本人の精神を骨抜きにすることを目指した影響が、未だに色濃く残っている証拠でもあります。左翼の日本のメディアと教育界はこれに乗じて平和主義教に衣替えし、その結果、戦争は怖い、戦争は悪だと日本人に繰り返し洗脳してきました。そのために一方で、国家や社会のために自分を犠牲にすることの尊さは一切教えられず、自国の危機に対してどうすればよいかといった事態を、一切想定することなく日本人はこれまで生きてきました。

テレビでたまに真面目な番組があるかと思えば、準備された半日的なコメンテーターや識者といわれる人たちが、日本の戦争犯罪や過去の侵略とされるものを利用して、日本の昔の姿を意図的に暗く描き出すのです。これではテレビやラジオ、新聞からだけ情報を得る多くの人が、そんな自国のために戦うかどうかと聞かれても、半数近い日本人がわからないと答えるのも当然でしょう。しかもそんな事態など考えたこともないのですから。

ですが私は今の若者も、いざとなれば毅然と戦うに違いないと思っています。東日本大震災の折に見せた日本人の団結力、忍耐力、不屈の精神、そして自己犠牲の精神は感動的ともいえるものでした。

信じられない日本兵の強靭さと気高さ

日本人は本来、強靭で気高い精神を持った民族です。
それは先の大戦で日本と戦った私たちアメリカ人が一番よくわかっています。日本人のそのような戦いぶりを象徴するのがペリュリュー島の戦いでしょう。当時、島を守っていたのは中川州男くにお大佐率いるペリュリュー守備隊でしたが、わずか1万1000人たらずの日本軍は、ここで屈強なアメリカ海兵隊と戦いました。

小さいペリュリュー島などほんの4日で奪取できると考えていたアメリカ軍は、この小島に対して凄まじい量の艦砲射撃と航空爆撃を加え、さらに日本軍の4倍もの兵力を投入しました。しかし最初に上陸した第一海兵師団は猛反撃を受け、大勢の死傷者を出して壊滅します。そしてなんと米陸軍の第81歩兵師団との交代を余儀なくされます。しかしこの米軍の陸軍部隊も日本軍から凄まじい攻撃を受け、2500人もの兵士が精神疾患にかかったそうです。

日本兵1名の戦死ごとに、アメリカ兵1名の死傷と1589発の重火器および小火器の弾薬を要したと記されています。この戦いにおいて日本の兵士たちは、夜襲を繰り返すことでアメリカ兵を眠らせない作戦に出ました。その結果、多くのアメリカ兵が恐怖のあまり不眠に苦しみ、士気を下げていきました。たまりかねたアメリカ軍は日系2世の兵士を使い、勇敢な日本兵の皆さん、夜間の斬り込みはやめてください。あなた方が夜間の斬り込みを中止するなら、我も艦砲射撃と爆撃を中止しますと放送したそうですが、これにより日本軍はかえって士気を高めたのです。

結局、米軍が4日間で奪取するつもりだったこの島は、73日後にようやく陥落し、このような日本の兵士たちも最後はほとんどが玉砕してしまいます。ですが、それでも死ななかった34人の日本人兵士たちは、なんとその後もあの狭い島で遊撃戦を展開し、アメリカ軍の食糧庫などを襲撃しては武器弾薬や食料を大量に奪い、その後の終戦2年後の昭和22年まで、洞窟にこもって戦い続けたのです。その敢闘精神には愕然とするしかありません。

こんな敢闘精神は、アメリカ軍や他の欧米の軍隊にはとても考えられないことです。戦争中、米軍は日本軍との戦い方のマニュアルを作成していましたが、その中に日本兵も人間だ。恐れることはないと書かれています。つまり米軍の兵士にとって日本軍の兵士は、まるで人間を超越した存在であるかのように見えたのです。

大東亜戦争当時、日本軍の兵器はアメリカ軍のそれと比べて相当に貧弱でした。アメリカ軍が保有していた武器弾薬などの鉄量は日本軍より相当に多く、ジープやトラックなど、それを運ぶための機械化も進んでいました。一方、日本兵が持っていたのは、多くて12発くらいの小銃弾でした。砲兵の場合、戦場によっては何百キロもある大砲を分解し、日本人兵士は険しい山岳地帯をそれを担いで移動することもあったのです。もしアメリカ兵に同じことをやらせようとしたら、冗談じゃないと不満が爆発したはずです。

しかし日本兵はもう、これが信じられないくらいに強い。
特に夜襲や接近戦ではアメリカ兵は非常に恐れていました。夜陰に乗じて静かに肉薄する日本兵の銃剣突撃を食らい、戦線が次に破られるという事態が各所で多発しました。それでアメリカ軍はできるだけ塹壕ざんごうや鉄条網を周囲に張り巡らせ、機関銃と豊富な弾薬を準備し、突撃してくる日本兵を片っ端からなぎ倒しました。しかしそれでも、日本兵は仲間たちの死体を飛び越えて、次から次へと向かってきたのです。アメリカ人からしたら信じられないことばかりだったのです。

GHQが日本人にWGIPウォーギルトインフォメーションプログラムを強制したのは、自分たちアメリカ人がかつて苦労して作り上げた国民的一体感を、日本人ははるかに上回るレベルで共有していることがわかったからでしょう。これはつまり、個人の自由を尊重する国よりも、集団性や一体感のある組織や国のほうが戦争においては強いということを、アメリカ自身が認めた証拠でもあります。

日系アメリカ人部隊の第442連隊戦闘団

実際にそれは、日系アメリカ人だけで編成した第442連隊戦闘団の、ヨーロッパ戦線における戦いぶりを見ても明らかです。この日系人部隊はアメリカ合衆国の歴史において、最も多くの勲章を受けた部隊であり、その合言葉はGoforBroke当たって砕けろという、いかにも日本人的なものでした。彼らはドイツ軍の堅牢けんろうな陣地に突撃を繰り返した結果、その死傷率はなんと314パーセントに上りました。つまり1人の日系人兵士が何度も負傷しながら、何度も戦線を離脱しながら、再投入されたということです。

1944年10月、ヨーロッパ戦線においてテキサス大隊という米陸軍部隊の211名が、強力なドイツ軍に包囲されてしまいました。当時のこの状況で、テキサス部隊を救出するのはほぼ不可能と考えられていました。そこでルーズベルト大統領は、日系人で組織された第442連隊戦闘団に救出命令を下しました。そして救出を命じられた第442連隊戦闘団は、ドイツ軍に対し凄まじい猛攻を行ない、なんと絶対に不可能と考えられていたテキサス大隊の救出に成功したのです。

もっとも、彼ら自身の被害は、救出しようとした211名のテキサス大隊よりも多く、216名の戦死者を出し、600人以上が重傷を負うという凄まじい被害を出しました。この戦いはアメリカ陸軍史上、十指に数えられるほどの激戦でした。この事例を見てもわかるように、もし当時の日本軍がアメリカ軍と同じ装備と鉄量を持っていたならば、アメリカ軍の死者は倍増してなお足りなかったでしょう。それに加え、局地的な戦術だけでなく、俯瞰的な戦略と情報収集能力があれば、日本は決して敗北しなかったはずです。というより、ルーズベルトが日本を挑発することはなく、日米戦自体が起きなかった可能性が高いです。

日露戦争の時も、数百人規模の日露軍が戦闘を行ないましたが、ロシア軍は指揮官や将校がやられてしまうと、下士官や兵はもう何をすればいいのかわからず、右往左往したのです。ですが日本軍の場合は、将校や下士官がすべて戦死しても、上等兵などが残りの数百人を指揮して最後まで戦ったといいます。

しかも日本人が強かったのは戦争だけではありませんでした。
大東亜戦争の後には、日本は非常に大きな経済成長を成し遂げました。日本人は一丸となり、恐るべき勇敢さとタフさで世界中の市場を切り拓き、優秀な製品を次と作り出し、あらゆるマーケットを席捲せっけんしていきました。その日本の強さは、たまりかねたアメリカが貿易摩擦と称して強権発動せざるを得ないほどでした。

そのような勇敢で強靭な、気高い日本人の精神が、わずか70年続いたWGIPという愚民化政策だけで、簡単に滅びるとはとても思えないのです。

ついに愛国心のタブーから解き放たれる日本人
ケントギルバート著PHP新書1107840

抜粋

2017年8月17日 (木)

やらなくてはいけないからそうしたいからするにシフトすると、人生は大きく変わります。


やらなくてはいけない。からそうしたいからする。にシフトすると、人生は大きく変わります。

やらされている。と思いながら生きるのと、
そうしたいからする。という在り方は、
全く違う次元の人生を創ります。

生きていたら日、やらなくてはいけないことが、
いろいろありますよね。
特に仕事となると、やらなくてはいけないことを通り越して、
やらされている。となってしまい、
自分のことを犠牲者のように感じ、無力になってしまいます。
そして、人生が虚しくなり、
やがては燃え尽き、生きる氣力を失ってしまいます。

やらなくてはいけないことに追われ
人生が虚しくなり、
燃え尽き、生きる氣力を失ってしまう。
それは辛いことです。
しかし、こういった現実も、実は自分で作っています。
私たちは、誰もが自分で自分の現実を作っているのです。
しかし、私たちは考えが自分だと思い込み、
思考に同一化しているので、
その事に氣づけません。
すると、現実と言うのは、
訳もなく降り掛かってくる困難の連続に思えます。

しかし、私たちは、誰もが自分で自分の現実を作っているのです。
ですから、そういったやらされている犠牲者の現実から抜け出したければ、
上司や会社や誰かや何かを変える必要はありません。
ただ、あなたが変わればいいのです。

やらなくてはいけないことに追われ
人生が虚しくなり、
燃え尽き、生きる氣力を失ってしまう。
もし、こういった犠牲者から抜け出し、
望む人生を創りたいのなら、
自分自身の人生に責任を取ることが必要です。
責任を取るというと、
何か大変なことのように思うかもしれません。
しかし、本当の意味での責任とは、
目の前に現れた状況に応答する能力のことです。

私たちには、いつでも無限の可能性があります。
その内のどれを選ぶのかは、私たちの自由です。
でも、思考に同一化していたら、
私たちは過去の制限の中にいます。
すると、過去と同じ選択肢以外は無いように感じてしまいます。
結果、過去と同じような現実を作り続けてしまいます。

やらなくてはいけないことに追われ
人生が虚しくなり、
燃え尽き、生きる氣力を失ってしまう。
もし、こういった犠牲者から抜け出し、
望む人生を創りたいのなら、
次のようにすると、抜け出すことができます。

やらなくてはいけないことをそのまま観て、
もし、嫌だとかやりたくないと反応する感情があれば、
それを感じて癒してあげます。
そして、感情が癒されたら、
さらに内側深くに入り、本当の自分から、
やらなくてはいけないことをそのまま観て感じます。
そして、どうしたいのか?を感じるのです。
そして、そこから起こるままに応答するのです。
そうすると選択することもできれば、
やらないと選択することもできます。
本当の自分からどうしたいのか?感じると
物事を深く広く観ることができます。
すると、その選択の結果起こることも含めて、
どうしたいのか?がわかります。
それは、迷いのない答です。
そして、そこから起こるままに応答すると、
やらなければいけないことは、
そうしたいからする。ということになります。

そうしたいからする。という在り方になると、
自然と、
どうしたら、よりいいものが創れるだろう?
とか、
どうしたら、よりスムーズにできるだろう?
というような在り方になります。
つまり、自分の中に在る強み長所才能を
自然と発揮するような在り方になります。
すると、仕事が楽しくなります。
なぜなら、自分の中に在る強み長所才能を
表現し分かち合うことは、
私たちに喜びと充実感を与えてくれるのです。
それは、この世界に体を持ってやって来た意味でもあります。
そして、その喜びと充実感が、
さらに強み長所才能を表現し分かち合うことを楽しくしてくれ、
さらに強み長所才能を伸ばしてくれます。
そして、自分自身について、
自分で認めて価値を与えることができます。
すると、他人の評価を求める必要が無くなります。
すると、逆に他人が評価し認めてくれるようになります。

これが、自分で自分の現実を意識的に創造することです。
日常の一つ一つのことでは、小さな違いです。
しかし、その日の小さな違いが、
数週間、数か月、数年経つと、
とても大きな違いを生み出します。
それは、誰かにやらされている犠牲者の有り様とは全く違います。
これが、責任を取る。ということです。

これを続けていくと、
どんどん反応する感情が無くなっていき、
シンプルに、そうしたいからする。という風になっていきます。
そして、現実がどんどん楽しく嬉しいものになっていきます。
たとえあなたが会社で雇われて働いていたとしても、
働くことが楽しくなります。

そして、
こうした方が、もっいいものができる!
とか、
こうした方が、もっとうまくできる!
といったインスピレーションが浮かんできたりして、
それを使うことで、さらに楽に楽しくなったりします。
そして氣がついたら、
もっと楽しく働ける部署に移動したり、
もっと楽しく働ける会社に移籍したり、
フリーになってもっと楽しく働いていたりします。
その時、私たちは犠牲者から抜け出し、
創造者だったことを思い出します。

逆に、やらされている。と思い込み、
イヤイヤやっている人は、
強み長所才能を使うことに喜びを感じることもできず、
延ばすこともできず、
何年経ってもイヤイヤやっていて、
文句を言い続ける犠牲者のまま人生が終わってしまったりします。
現実というのは、あなたのエネルギーが映し出されたものです。
体でさえ、あなたのエネルギーによって作られています。
あなたのエネルギーが癒されれば、
あなたのエネルギーが映し出された結果である現実も変わります。

それは、映写機の中のフィルムが変われば、
スクリーンに映し出された映像も変わるくらいシンプルなことです。

問題は、現実を作っている原因のエネルギーに氣づいていないこと、
どうしたら原因のエネルギーを癒すことができるのかを知らないこと、
そして、どうしたら潜在力を目覚めさせることができるのかを知らないことです。
この3つが揃うと、あなたのエネルギーが変わり、
映し出された結果である現実も変わります。
そして、この3つを体験することは、
本来の自己に目覚めることに繋がります
ハートが、感情を受け入れ、癒してくれるようになるには、
ハートを感情よりも強く大きく育まなくてはなりません。

自分で癒せない内は、
ヒーリングを受けることが助けになります。

ヒーリングを受けながら、
ハート瞑想を続けて、ハートを育んでいくなら、
簡単なものは、自分でも癒せるようになります。

ヒーリングについて詳しく知りたい方は、こちらへどうぞ

ハート瞑想について詳しく知りたい方は、こちらへどうぞ

あなたが過去から自由になり、本来の自己に目覚め、
光輝き、本当に望む人生を楽しめますように。

セッションメニュー

傷や感情や信じ込みを癒し、本来の自己へ戻って行く
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感覚を内側に開き、自分でも感情を癒せるようになる
ハート瞑想

本当に望む人生を創造していく
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2017年8月16日 (水)

重要お知らせとお詫びを申し上げます。

この度、当店で取り扱っておりますエースジェルのメーカーより
自主回収(リコール)の発表がありました。
上記に記載してありますリコールの内容ですが、

化粧品への配合が認められていない他のタール色素が混入していることが判明した為。
気になる人体への影響ですが、

混入している他のタール色素による健康被害の発生は低いと考えており、
販売開始以降、当製品の使用による健康被害の報告はないとの事です。
お客様には、この度
大変なご心配、ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございません。
当店にも
対象カラーがあり、該当したカラーは既に撤去致しました。
今後は、他のメーカージェルをご用意していきたいと思っております。
出来るだけ早く沢山のカラーをお選び頂けるように致しますので
少しの期間、現在あるカラーでご提案させて頂く事を何卒ご理解頂けると幸いでございます。
エースジェルは、プロネイリスト専用
大手メーカーの自社ブランドジェル(他のサイトで入手不可)で
ジェルメーカーの中でもトップブランドの1つでした。
私自信も安心しきって使用していました。
今回、このような事になってしまい
お客様には
本当に申し訳ない気持ちで一杯です。
今後、この件に関しましても
誠心誠意対応させて頂きますので
ご不明な点、ご質問がごさいましたらいつでもご連絡下さいませ。
ごほうびROOM

岡山市北区人気マンション(2017年5月情報)




岡山マンション
生活環境や他の居住者、ゴミだしからエレベーターに至るまで様な視点から考える必要がある。

生活に重点を置く
職場や学校、スーパーなど日常生活に不可欠なことに重点を置く

価格と施工会社
近隣マンションと比較して土地の価値、建物の素材やデザイン大手ゼネコンや施工実績が多い会社が建てたかt考える。

素材
ドアバスルームキッチンは多くのメーカーを誰もがよく知っているので知らないメーカーを利用している場合は高級マンションとは位置づけられない。

駐車場
マンション全体の戸数に対して駐車場の割合は重要で平面で100だと高級マンションと呼ぶにふさわしい。立体だと待ち時間が面倒になる。

公園病院飲食店が近隣にあるか
マンションの目の前が公園だと将来的にも建物が建つ恐れも無く日当たりが保障されているし、気晴らしや子供の遊ぶスペースを無料でいつでも利用できるメリットは大きい。
病院が近隣にあると待ち時間の短縮やもしもの時に安心できるメリットは大きい。
徒歩圏内に美味しい飲食店があると飲酒もできストレス発散もできて高級マンションと呼ぶにふさわしい。

駅へのアクセス
タクシーで1メーターで行ける距離が最も人気駅直結や駅に近すぎると騒音やゴミ、電車のブレーキによる粉塵により洗濯物が外に干せないので高級マンションの定義から除外する。

学区
生活を営んでくると将来的に育児が始まる。日本の社会で勉強は重要視されており、その根本である教育環境は重要である。岡山県では京山学区中央学区が人気の学区である。その理由は教育学区であり、その地域には社会的に優れた人が多く住んでいる背景がある。

職場
職場は生活を営む上で最も多くのウエイトを占める部分である事は間違いないであろう。そのほぼ毎日行く職場へのアクセスは需要であり徒歩または自転車で行ける距離が人気であるが、会社の近隣に恵まれた物件がある人は少ないだろう。

買い物
職場の次に重要視する人が多いのはやっぱりスーパーである大学時代に学校の近くかスーパーの近くか迷った人も多いだろうやはり、この2点が最も需要な要素になっている根拠であろう。徒歩または自転車で行ける距離であれば買いだめしなくてもいいし楽である。

マンション全体の戸数とエレベーター数
多くのマンションは50〜70戸でエレベーターを1機設置している。
実際に朝夕などの時間帯では待ち時間が必要で不便であるので高級マンションと呼べない。高級マンションと呼ぶにふさわしいエレベーター数は30戸に1機あれば不便なく利用できるだろう

上記の10個から考えると理想の高級マンションは

職場から近く徒歩又は自転車での移動圏内にスーパーがあり人気の学区で近隣に病院や飲食店があり気晴らしのための公園もあり駐車場も確保できる物件となる。
まさに理想的な居自由スペース
これぞ高級マンション

まとめると理論は間違いない
しかし、そんな物件が果して岡山県岡山市にあるのか調査
ここまできたら展望や花火祭り、風雨などの災害面からも徹底的に調べよう






岡山市北区人気マンション(2017年5月情報)
プロ野球西武打線に厚み伏兵が3本塁打




格安マンションと高級マンションの違いはココに出る!allaboutcojp/gm/gc/465014/F

この人凄いんですよ。金持ちです。だってずっと実家結婚してない殆ど都心にいないお金を使う理由がない。なんで、実家のそばに高級マンションを現金即決で買っちゃうなんでか?ジャズが好きなんですよ何万枚もレコード持ってて完全防音のオーディオルームです。暮らす場所じゃないんです。実家

自衛隊ってなんですか?意味解らなくなった次女が自衛隊の長男と結婚した事。好きで結婚が何故??ジェンスキンさんから江東区へ高級マンションへ引っ越せたの??自衛隊の夫婦の長男と結婚次女が引っ越せた理由を言って視ろ政治家。長男といっても満州帰り母親の息子だっただなんて聞いていなかった。自衛隊の妻に満州帰り


2

大嫌いになった軽井沢

苦言を呈したり、怒りをあらわにするようなことは好きじゃない。僕の言い方、態度に問題があるのだろう労力のわりに報われることが少ないからだ。特に世間一般に好かれているモノを批判すると思うと胸が高鳴る。言い訳おしまい。こっからはニンゲン嫌いの田舎住まいでひねくれた貧乏人の愚痴と思って眼を通していただければ幸いです。
今年の6月半ば、神奈川県に住むまいわ両親ファミリーに僕の子供たちを見せに行くために旅行プランをたてることに。思案中、高速道路の地図を眺めていたら軽井沢の文字が眼に留まった。避暑地、別荘、ジョン・レノンが愛したパン屋さん。清流のせせらぎを聞きシェーズロングにもたれて過ごすようなイメージがわいた。
この機を逃したら一生行かない気がする。ということで、妻に駄々をこねて軽井沢、上野、斑尾高原にそれぞれ1日ずつ宿泊することが決まった。
初日、軽井沢の某軽食屋さんでお昼を済ませ、おもちゃ王国に行きペンションで泊まる予定。朝九時ごろ家を発ち、途中SAでパンとかおなかに詰めこみながら向ったので、13時ごろにお昼を済ませるはずが、子供のアクシデントなどで大幅に遅れ、14時半ごろにお店に着いた。
お店の名前は書きません。仮にA店として、ハルニレテラスの中にあるお店でガラス張りで開放的、見るからにオシャレなところだった。大人はハンバーガーセット、子供にはキッズプレートを注文した。店内を見渡すと額縁の中に服があったり、ビンがところどころ置いてある。抜きんでたオシャレじゃない、無難だ。ちょっとイヤな予感。
しばらくしてお料理が届いた。ハンバーガープレートの上にはハンバーガー、サラダ、ピクルスが乗っていて、ハンバーガーは地元のブランド牛を使っておりジューシーで美味しい。ピクルスは美味しくはない、サラダはドレッシングが不味い。ま、こんなもんか。
ふと子供の皿を見ると全然食べていない。フォークとスプーンを縦に持ったまま動かない。不安になってナゲットを一口食べてみた。不味い。本当にヒドイ味!!マクドナルドのそれよりも不味い。他も食べたがデザートにいたるまで全てが不味い。
大人はそれなりのもん、ガキは安いもんでも食わせておけばよかろう。そう言われているようで悲しくなった。
無理やり食べてお会計を済ませ、テラス内をぶらついてみる。なんやら牧場という名前の店があって、軒先に野菜を並べてあるけど、葉っぱの先をまじまじと見ると元気がない。自然をウリにしたいのか分からんが、それじゃ田舎者の目はごまかせん!!とか、空に吊るされた色とりどりの傘をみて、オシャレのつもりなの?思想もセンスも感じないね。と妻にぶちぶち文句をたれていた。幸いなのは妻が同意してくれたことだ。
ひとしきり周りテラスを後にした。おもちゃ王国、の予定だったけれど、開園時間がわずかだったので浅間山高原に目的地を変えた。閑散期だったので、牧場周辺は2,3組が歩いているばかりだった。
ちょっと寂れているけど、高原の透き通った光、ソフトクリームののぼりがはためいているのを見て元気が出てきた。せっかくだから高原の奥の方にある、牛を飼育しているとこまで歩いてみることにした。
季節はずれのセミがいたり、熊の威嚇の声が聞こえたりして楽しい。小高いところに立つと景色が遠くまで見渡せて気持ちがいい。おお、ここは盆地なんだな。遮るものがないね。あれが浅間山かな?Oh,ASAMAYAMA!!とはしゃぎはじめた、ところで人にその姿を見られ赤面。恥ずかしさで顔を上げたり下げたりした。
高原を降り、牧場の喫茶コーナーに行くとふれあい広場があることに気付いた。ウサギが2,3羽いる。なんだか汚いような気がする…なぜ??アルパカの看板があるけど特に見当たらないので、ソフトクリームを買ってベンチに腰掛けた。
閉園の時間が近づき、お店の中から棒を持った小太りの従業員がふれあい広場に向っていった。なんとなく目で追うと、従業員がウサギを蹴飛ばしているのが見えた。さらに手に持っていた棒でウサギを小屋に追いやっていく。
注意するか逡巡したが、きっとここで怒ったとしても後でもっと酷い目に合わせるに違いない。そう思って席を立ち、泊まる予定のペンションに向った。
書いている今、やっぱり注意するべきだったと後悔している。たとえ苦手であろうと、勝手にどうにもならないと決め付けず、誠心誠意注意をしなければならなかったのだ。
結局、軽井沢を大嫌いになってしまった。立地にあぐらをかいた、懸命さのないそれなり主義の嘘つきの商売人の土地にしか見えない。
きっと軽井沢に愛着がある人はこう返すのだろう。確かに軽井沢は嘘が多いかもしれない。でもその中から本当に価値があるものを見つけるのがオトナというものじゃないかな。ウサギのことは置いといて。
おそらく何度か行けばお気に入りのお店を見つけられるだろうけど、今のところ向う勇気はない。

2017年8月15日 (火)

川栄は可愛いね!いまちょっと検索してみ

川栄は可愛いね!いまちょっと検索してみたら思いっきり胸を鷲掴みされてるシーンあった

2017年8月14日 (月)

東池袋52

欅坂のオマージュ「わたしセゾン」を歌う東池袋52がデビューした。
ジャケ写やフォーメーション等、乃木坂や欅坂をよく研究している感じ。
まぁ、企画モノだから話題になるのも一発だけだと思うけど...

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